かつて安倍元総理は、「保守とは何か」と聞かれた際、「保守とは、謙虚さです」と答えたと言われています。私は、この言葉は、まさに「保守」の本質を一言で的確に言い表したものだと感じています。昨今、ややもすれば排外主義的な主張を行ったり、自らの見解と異なる主張に苛烈な批判を加えたりする「保守」勢力も見られますが、本来の「保守」とはそのようなものではありません。今回は、松本いずみが目指す「開かれた保守主義」の概念について、ごく簡単に述べてみたいと思います。

まず、周知のように、そもそも「保守主義」とは、「進歩主義」に対抗する概念として、18世紀頃にフランス革命を受けて生まれたものだと言われています。「進歩」がなければ「保守」もないという意味において、保守主義は社会の発展と独立して存在する思想ではありません。また、ただ単に旧来のものを墨守しようとする「伝統主義」や、過去に戻るべきことを主張する「復古主義」とも異なります。

「保守主義」の最も根本的なスタンスとは、「個人の理性には限界がある」という謙虚な姿勢です。人間の理性は完璧なものではなく、ましてや一個人の理性で把握できる事項には限界がある。そうであるからこそ、フランス革命に代表されるような、理性に基づいて社会を改良していくことができるという安易な姿勢を戒め、一人の人間の理性の限界を、人間の経験や歴史、伝統によって補完していくという思想こそが保守主義なのです。

そして、根底に「個人の理性には限界がある」という認識があるからこそ、保守主義は人間の営為の積み重ねである歴史や伝統に重きを置くのであって、ただ単に保守的な感情から伝統や慣習を尊重するのではありません。したがって、保守主義は決して歴史や伝統をそのまま維持することを求めるものではなく、むしろその逆に、本当に変えてはならないものを守るためには変化をためらわないことこそが本来の保守主義です。ただ単に「伝統が大事だ」、あるいは「過去に戻れ」という思想とは根本的に異なります。ましてや排外的な主張や他者に対する不寛容な姿勢などは、保守主義とは全く関係がありません。

松本いずみの政治姿勢は、こうした本来の保守主義の思想に基づき、日本の歴史や伝統、慣習を大切にしつつも、日本として本当に大事な価値(例えば、天皇制や民主主義、平和主義など)を守るためには変化をためらわず、そのために新しい技術やアイデアを積極的に受け入れて、時代に応じて自らを変革していくことをいとわない、「開かれた保守主義」とも言うべきものです。なお、これは何も私のオリジナルのアイデアというわけではなく、宇野重規・東大教授など、多くの方によっても提唱されている概念です。

日本として本当に大切な価値を守るために、「保守主義」が未来に対して開かれているということは極めて重要です。松本いずみは、今後一層混迷するであろう内外の政治情勢の下においても、終生、この「開かれた保守主義」を大切な政治姿勢の軸にして、よりよい日本の未来に向けて全力で取り組んでいきたいと考えています。