今回から、私がこれまでずっと書きたいと思っていながら、時間と能力の都合によって未だ本としては出版に至っていない、「この国のかたち」に関する新しいシリーズを始めたいと思います。とはいえど、私にはこの国の長い歴史を俯瞰して論じる十分な力はないことから、あくまで明治憲法の規定と運用を現代の日本社会と比較することを通じて浮かび上がってくる、「この国のかたち」の一端を示すにとどまります。不十分なもので大変恐縮ですが、しばしお付き合い頂けますと幸いです。

そもそも何故今さら明治憲法なのか。そのように思われる方も多くいらっしゃるかと思います。現在、日本で効力を有する憲法は日本国憲法であって、明治憲法は何の法的効力も有していません。しかしながら、明治憲法は、日本人自身が起草した唯一の近代憲法です。そして、成文憲法は、起草者が実現したいと願った国家の理想の姿(の少なくとも一部)を文字として表したものです。そして、それは単に一部の起草者の個人的な思いのみから生じるようなものではなく、起草当時の多くの国民が共有していた歴史や文化をも反映するものだと考えています。

そこで、今回のシリーズでは、日本人自らが起草した最初で最後の近代憲法である明治憲法のレンズから日本社会を眺めてみることで、「この国のかたち」の一端を探ってみたいと考えています。見方によると、現在の日本社会が明治憲法下の日本社会から多くのものを受け継いでおり、憲法典それ自体は変わったにも関わらず、社会の実態としては、むしろ戦前から変わらずに続いているものの方が多いのではないか、という思いを持たれる方もいらっしゃるかもしれません。そして、もしかすると、それこそが「この国のかたち」の一端なのかもしれない、と松本いずみは考えています。

「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。・・・こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。」

これは、平成28年(2016年)8月8日に出された、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の一部です。周知のように、この「おことば」が発せられた後、わずか一か月で有識者会議が設置され、翌年の6月には皇室典範特例法が成立し、平成31年/令和元年(2019年)5月1日に、1817年の光格天皇以来、202年ぶりに、天皇の退位が行われることとなりました。

このとき私の胸に生じたものは、長年に渡り象徴としての務めを果たされてきた天皇陛下への敬意の念とともに、天皇は、憲法上は日本国及び日本国民統合の「象徴」であって、「国政に関する権能を有しない」とされていながらも、そのお言葉には現実社会を動かす力がある ― 現に、皇室典範には退位の規定が存在しないにもかかわらず、「おことば」が発せられてから1年以内に退位を認める新法制定までなされた ― という事実に対する率直な驚きでした。実際のところ、その力は通常の意味における「象徴」が持つ力を遥かに超えているのではないかという、奇妙な感覚さえ拭えませんでした。

この、平成天皇の「おことば」の通りに日本社会が動き、あっという間に退位が決まってしまったという事実は、まるで象徴天皇制の「象徴」という言葉が、何かそれ以上の大きな力を持った天皇という存在を、その枠の中に封印するための呪文なのではないか、との感覚さえもたらすものでした。

また、松本いずみがかつて経済産業省の官僚として働いていた際に直面した2011年の東日本大震災の際には、かつてない危機にも関わらず、当時の首相が十分なリーダーシップを発揮することができず、日本政府内では誰が何を決めているのかさえ分からない混乱状態に陥っている状況を目の当たりにしました。これは、明治憲法下において、内閣総理大臣が各省大臣の「首班」に過ぎず、他にも軍部や元老などの多くのプレイヤーに実質的な意思決定権限が分散していたため、少数の例外はあれど、時の首相が十分なリーダーシップを発揮できなかったことをも彷彿とさせました。

更に、より最近の新型コロナ禍における日本では、法的強制力のある都市封鎖、いわゆる「ロックダウン」は取られなかったにも関わらず、外出や営業を自粛すべきだという強い同調圧力が働き、そうした空気に従わない者がSNSなどにおいて批判されるという現象も見られました。これは、社会の圧力によって、たとえ権利があったとしても自分のやりたいことが必ずしも自由にできないという意味において、国民の権利・自由が制限されていた戦時中の国家総動員体制下の日本社会と何が異なるのだろうか、との疑問も生じさせました。松本いずみが官僚として日本政府内で新型コロナ危機の際に実感したことは、突き詰めると、日本は未だに、山本七平が述べたように「空気」が支配する社会であり、危機時には理性的な議論が通用しなくなるという現実であったようにも思います。

色々と述べてしまいましたが、まずは、「この国のかたち」を考えるに当たって避けることのできない「象徴」天皇制の意義について、次回から数回に分けて考えてみたいと思います。(②に続く)