戦前は天皇が主権者であり、現に統治権を行使していた。このように理解されている方もいらっしゃるかもしれません。確かに明治憲法の条文を読むと、そのように理解するのが自然であるかのようにも見えます。ところが、戦前の学説の多数を占めていた見解は、「天皇」ではなく、日本という「国家」に統治権が存在すると考える、「天皇機関説」という見解でした。それは一体どういうことを意味していたのでしょうか。
松本いずみは、戦前も天皇は多かれ少なかれ「象徴」であったと考えています。ただし、現行憲法下における「象徴」とは多少意味合いが異なり、戦後を代表とする政治思想史家である丸山真男教授が述べたように、「一種の社会的雰囲気としての目に見えない強制力」をもった「象徴」でした。
これが具体的に何を意味していたのかを考える前に、少しだけ、明治憲法の起草者である伊藤博文についてお話させて下さい。
松本いずみは、尊敬する人として、西郷隆盛と浜口雄幸に加えて、伊藤博文を挙げさせて頂いています。伊藤はどうしても、西郷、大久保、木戸の「明治維新の三傑」と比較すると地味で、金銭のルーズさや奔放な女性関係に対する批判も強く、私の好きな大河ドラマの主役にもなったことがないのですが、私は、この人物がいなければ安定した明治国家の基礎は築けず、明治国家が「坂の上の雲」を目指すこともできなかった。そのくらい重要な人物であったと考えています。
伊藤は、元々は長州藩の百姓の子として生まれ、若き日は維新の志士としてならし、明治初期には藩閥政治家として明治国家の基礎を築きましたが、後年には自ら政党を立ち上げ、政党政治家へと変貌しました。このように、時代の流れを見据えて柔軟に自身の姿を変えていった人物であったこと。この点が、私が伊藤を尊敬する理由の第一です。これがどれほど難しいことかは、例えば、東証プライム市場に上場する会社の社長が、60歳を目前にして突然辞職して、一から全く新しいベンチャー企業を立ち上げることを想像してみれば、現代を生きる我々にとっても容易に想像ができるのではないでしょうか。
もう一つ、私が伊藤を尊敬する理由が、伊藤の政治家としての慎重さ、その思慮の深さです。この点は、将来の政治情勢を見据えて慎重に起草された明治憲法の個々の条文に込められた深い意味を見ていくことで、これから徐々に明らかにしていきたいと考えています。
今回も前置きがやや長くなりました。次回は、主に明治憲法第1条と第4条の二つの条文を見ていくことで、明治憲法下の天皇の地位について、少し考えてみたいと思います。